その島に天降(あも)りまして、天の御柱を見立て八尋殿を見立て給ひき。ここにその妹伊邪那美の命に「汝が身はいかになれる」と問い給えば、「我が身はなりなりてなりあはざるところ一ところあり」と申し給ひき。
ここに伊邪那岐の命のり給はく「我が身はなりなりてなりあまれるところ一ところあり、かれこの我が身のなりあまれるところを、汝が身のなりあはざるところにさし塞ぎて、国生みなさんと思ふはいかに」と宣り給へば、伊邪那美の命「しか善けん」と申し給ひき。ここに伊邪那岐の命「さらば我と汝と是の天の御柱を行きめぐりあひて御所(みと)のまぐわひせん」と宣り給ひき。かくいひちぎりて「すなわち汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はん」と宣り給ひ。ちぎりをおえて廻りますとき「あなにやし愛少男(えおとこ)を」と宣り給ひき。後に伊邪那岐の命「あなにや愛少女(えおとめ)」と宣り給ひき。各々宣り給ひおえて後に、その妹(いも)に「女を事先立ちてふさはず」と宣り給ひき。しかれども隠所(くみど)に興して御子ひる子を生み給ひき。この御子は葦船に入れて流しすてつ。次に淡島を生み給ひき。是も御子の数には入らず。ここに二柱の神はかり給ひつらく「今我が生め利し御子ふさはず。なほ天の神のみもとに申すべし」と宣り給ひて、すなわち共にまひ上がりて天つ神のみことを請い給ひき。ここに天つ神のみこともちて、太古(ふとま)にうらへて宣り給ひつらく「女をこと先立ちしによりてふさはず、また還り降りてあらため云へ」と宣り給ひき。かれすなわちかへり降りまして、更にかの天の御柱をさきのごと行きめぐり給ひき」・・・・・と『古事記』に記されています。