歴史
鎌倉幕府は弓馬の修練をもって、技術を通じての精神の到達点として、武士の道義を確立しました。この時代に大的、円物、草鹿等の様式が整えられました。
 
蟇目の儀
蟇目の儀には、誕生蟇目、屋越の蟇目、祓いの蟇目があります。矢の先に付けた蟇目鏑の音により魔障を退散させます。
 
大的式
武家としての大的式は、源頼朝が文治5年(1189年)正月2日に最も厳格な弓の儀式として弓始の式をおこなって以来毎年正月4日に行なわれたことが吾妻鏡に記載されております。
 
百々手式
百々手式は10人の射手が10手(1手は甲矢乙矢の2筋を言う)を射ることから合計百手となるものです。祈願の儀式で本式の場合には祭壇を飾って執行します。
 
三々九手挟式
三々九手挟式は、武家社会では正月4日の弓始式の時に限り行われた厳格な弓の儀式で、文武を統べる道として天下泰平を祝う射礼として行われておりました。
 
振々式
振々とは中世の玩具で、球を打ったり、車をつけて引いて遊んだ物ですが、これを的として正月4日または17日の弓始の式、三々九手挟式修了後に、宮中の弓場殿で行われた射礼です。
 
草鹿式
草鹿式は建久5年(1194年)5月将軍源頼朝が富士の裾野で巻き狩りを催した時に、家人がしばしば鹿を射損じることがあり、古老の武士に尋ね射術の稽古の方法として草を束ねて鹿の形を作り、距離を定めて稽古をしたことが始まりといわれております。
 
円物
円物は本来騎射の式で、笠懸と同じように行われたものでした。その後歩射の式となり、円物は化生の物を表した的であるといわれるようになりました。
 
小串会
歩射の儀式でも「草鹿式」や「円物」のように騎射から転じたものと、「大的」や「小串」のように元々歩射のものがあります。小串は式ではありません。小串会といって遊射にあたります。
 
射礼
儀式としての弓ではなく、弓道場で行う小的射礼、巻藁射礼などがあり、武家の礼法に則った式法で行われます。。