年越しそば

 そばの名称については、「蕎麦」「ソバムギ」で、ソバムギの粉を練ってうどん粉を加えて細く切った蕎麦切りの略称がそばですが、語源はそばの実に角があることから、角を意味する「稜(そば)」と言われています。
蕎麦切りの創始については諸説がありますが江戸時代初期辺りであろうと思われます。江戸で蕎麦切りが定着したのは発展途上地域であった江戸に全国各地から労働者や職人が集まりそば粉が安価で大量に入って来たため、安直な食べ物として喜ばれたものでしょう。
当時は「そば掻き」といってそば粉に熱湯を加えて練ってから食べたもので、その後蒸籠(せいろう)に盛ってあるもりとなりました。だし汁をかけたそばとなると文化・文政の年間であり、そばに関する風習が定着したのはそんなに古いものではないと思われます。
暦が採用される以前は春秋二季の季節感しかなく、春の初めをもって年の初めとしていました。今の暦でいうと「立春」に当たる時期で、その前日が大寒の終日で「節分」「年越」といいました。この春を迎える時期はすべての生物が躍動し、人間の生命力も更新されるものと考えられ、そこに目出度さが意識されたのです。昔は一日の始まりを日没におき次の日の日没までを同日としました。大晦日の日没には祖先の霊祭(年神に鏡餅を供えた)が行われました。
現在年越しは一般的には夕方家族で食事を共にする習慣がありますが、どうしてそばを食べるのかということについての根拠は明らかではありません。一説には細く長く生きるためであるとか、細工場に散っている金箔、銀箔をそば粉を練ったものでたたくと畳の目の間にあるものまで取れることから、大晦日に金銀をかき集める縁起にしたとかいわれています。どのようにして食べるとか、いつ食べるとかいうことも特に決まりはなく、電気・暖房・テレビ等の発達により昨今では紅白歌合戦を見てから、行く年、来る年を見ながら食べるという家庭が多いのではないでしょうか。