二十四節季
小寒
旧暦では十二月節気。新暦の一月五日ごろをいいます。「寒の入り」の日をさし、まだ寒気が激甚とまではいかないが、寒さの厳しいころをいいます。「小寒の氷 大寒に溶ける」ともいわれ、大寒よりもかえって寒い場合もあります。「○月節気」とは月の初めの節目をいい「○月中気」とは月の半ばすぎの節目をいいます
 
大寒
旧暦では十二月中気。新暦の一月二十日ころをいいます。気候的に一年中でいちばん寒さの厳しいころで、大寒の終わりを寒明けといいます。
 
立春
雑節の基準日となります。旧暦では正月節気。新暦では二月五日ごろにあたります。東の風が吹き、氷を溶かすとして、この日から春の気配が感じられるようになる日としました。『万葉集』に「ひさかたの あまのかぐやま このゆうべ 霞たなびく 春立つらしも」とあります。
 
雨水
旧暦では正月中気。新暦の二月十八日ごろをいいます。立春の後十五日目で、雨水とは、今まで雪が降ったり、凍っていた機構が緩み、水分が雨となって降るようになり、草木の芽生えが始まることをいいます。
 
啓蟄
旧暦では二月節気。新暦の三月五日ごろをいいます。桃の花が咲き始め、地下の虫も冬ごもりしていた穴から現れることをいいます。鎌倉時代中期の『捨芥抄』にも、「蟄蟲(冬ごもりしている虫という意味)始振」とあります。
 
春分
旧暦では二月中期。新暦の三月二十一日ごろをいいます。『日本歳時記』には「春分は、日夜の長さ等しきときなり。寒暖もまたひとし、しかれども夜明けで日の出るまでの二分半を暁とし、日入りで暮れるまでの二分半を昏とす。昏暁合て半時は夜に属するといえども、その明らかなること昼に同じければ、日夜ひとしきといえどもなお夜日は長し、冬至に一陽来復して、漸陽気生じ、日も長くなりて、春分に至り日夜ひとしくなる」とあります。春の彼岸の中日で、昔は春季皇霊祭でありましたが、戦後「春分の日」として国民の祝日となっています。
 
清明
旧暦では三月中気。新暦の四月五〜六日ごろをいいます。清明とは、清浄明潔寺といわれ、春先に万物が清新の気に満ちて、肌寒さも少し残る爽やかなころをいいます。桐の花が咲き始め、地方によっては魔除けのまじないとして、柳の枝を頭に乗せる風習jも残っています。
 
穀雨
旧暦では三月中気。新暦の四月二十一日ごろをいいます。植物を潤す春雨の意味から来たことばで、植物の成長を助けるために必要な時期です。
 
立夏
旧暦では四月節気。新暦の五月五日ごろをいいます。この日から立秋までを秋としました。夏の気配が感じられるようになるころです。
 
小満
旧暦では四月中気。新暦の五月二十一日ごろをいいます。草木が繁って天地に満ち始めるという意味で、立夏の後十五日目にくる節気です。
 
芒種
旧暦では五月節気。新暦の六月六日ごろをいいます。このころにカゲロウが生まれ、また麦が実るころで農作業の忙しいころになります。
 
夏至
旧暦では五月中期。新暦の六月二十一日ごろをいいます。太陽の赤緯は最北となり、北半球では南中の高度がもっとも高くなります。昼の長さがもっとも長く、夜の長さがもっとも短い日になります。
 
小暑
旧暦では六月節気。新暦の七月七日ごろをいいます。暑さが増してきて、日脚がつまってくるころをいいます。
 
大暑
旧暦では六月中気。新暦の七月二十三〜四日ごろをいいます。気候的にも梅雨明け後の、もっとも暑気の激しいころです。
 
立秋
旧暦では七月節気。新暦の八月七日ごろにあたり、この日から立冬までを秋としました。残暑は厳しいのですが、秋の気配が感じられるようになるころです。『古今和歌集』に紀貫之は「かは風の すずしくもあるか うちよする 浪とともにや 秋は立つらん」と詠んでいます。この日より「残暑御見舞い・・・」と書くようになります。
 
処暑
旧暦では七月中期。新暦の八月二十三日ごろをいいます。処暑とは暑気が止むということで、暑さが峠を越え、朝夕涼しさが感じられるようになるころです。
 
白露
旧暦では八月節気。新暦の九月七日ごろをいいます。夜間の気温が低くなり、草木に露が降り始めるころです。
 
秋分
旧暦では八月中期。新暦の九月二十三日ごろをいいます。秋の彼岸の中日で、昔は秋季皇霊祭でしたが、戦後は「秋分の日」として国民の祝日となっています。『日本歳時記』には「秋分の日、老妣先祖の神を祭るべし、夏至に一陰生じてより後、陽気日々に長じ、日もようやく短し、春分にいたりて、日夜ひとしく、寒温もまたひとし。」とあります。
 
寒露
旧暦では九月節気。新暦の十月八日ごをろいいます。露が寒冷の気にあって凍る手前にあるといわれ、朝露も冷え、秋が深まるころです。
 
霜降
旧暦では九月中気。新暦の十月二十三日〜四日ごろをいいます。夜間の冷え込みが厳しく、霜が降り始めるころをいいます。
 
立冬
旧暦では十月節気。新暦の十一月七日ごろをいい、この日より立春まで冬としました。冬の気配が感じられるようになるいころです。
 
小雪
旧暦では十月中気。新暦の十一月二十二日ごろをいいます。寒さがまだ深まらず、雪もまだわずかなころで、冬を迎え時には雪が降り始めるころになります。
 
大雪
旧暦では十一月節気。新暦の十二月七日ころをいいます、降雪が多くなるころです。
 
冬至
旧暦では十一月中期。新暦の十二月二十二日ごろをいいます。『世諺問答』に、朔旦冬至は非常にめでたいことであるとして、このときには宮中でも対象出御され、賀辞受けられたことが記録に残っています。一年中でいちばん日照時間の短い日で、昼の長さがもっとも短く、夜長をかこつ日です。昔の人は、次の日から日が長くなっていくことを祈り、物忌みを行った日です。冬の厳しさに備え、栄養価の高いもの、また保存のきくものとして南瓜(南京)を食べました。昔は珍しい食べ物でもあったことから、現在でも地方によっては珍しいものいを食べ、清浄に過ごす習慣もあります。
この日には、柚湯に入る週間もあります。柚の果実の熟す時期は、木枯らしの吹きすさぶころで、肌が荒れがちとなりますが、この果汁を肌にすりつけておきますと、ひび・あかぎれ・しもやけ等の予防になります。浴湯料として用いますと、精油等が湯に溶け出し、肌を軽く刺激して血液の循環をよくして保温に役立つことから、肩凝り、神経痛の痛みを和らげ、冷え性などの保温にも効果的であるといい、生活の知恵が生かされいます。

雑節
節分
「季節の分かれ目」の意味で、四季の変わり目で立春、立夏、立秋、立冬の前日を言いますが、
今は冬の節分(立春の前日)のみが雑節として残っています。このときを一年の境と考えた時期があり、大晦日と同じような越年の行事が行われました。近年では柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に挟み、邪気を払う行事が行われます。これは追儺といっ朝廷の年間行事である大晦日の夜、悪鬼を追い払う儀式であり、鬼遣らいともいいます。。柊と鰯は『土佐日記』の元日の条にも見えます。『歳時故事大概』には、「節分 立春の節の前日となり、今宵門戸に鰯のかしwらと、柊の枝を挿(さし挟むの意味)て、邪気を防ぐの表事とし、又炒大豆を升の器に入て、夫を暗に打ちはやして祝い賀す」とあります。
現在では各地にそれぞれの風習があり、神社仏閣では伝統として追儺の儀式があって多いくの人が集まります。家族では夕方表口から始めて、主な部屋から部屋へと「鬼は外、福は内」と唱えながら豆を拍(まくこと)ちます。
 
彼岸
彼岸について『倭訓栞』には、「日本にのみ行われて、西土天竺はなき事成るよし」とあり、日本だけに見る仏教行事であったことがうかがえます。昼夜の時間が同じになる、春分・秋分の日を彼岸の中日として、この日を挟んで七日間彼岸会が行われます。昔宮中では、皇霊祭が行われました。
一般では、今日でも墓参りが行われていますが、故郷を離れて生活する者には盆と暮れくらいになりがちです。宗教行事の少ない日本が、三月の春分の日と、九月の秋分の日を彼岸会としたことは、祖先崇拝の心を思わせるしきたりで、大切な行事となっています。節のものとしては春は「ぼたもち」、秋は「おはぎ」を供えます。
 
社日
「社」は中国でいう土地の神、産土の神をいい、春分と秋分にもっとも近い戊の日をいいます。『日本歳時記』には「春秋に二度土の神を祭ることあり、土はよく万物を養い五穀を生ず、故に祭る、春は農事のよからん事をいのり、秋はその恩徳を報ずる意義となん」とあります。春の場合を春社、秋の場合を秋社といい、土地の神を祭って、春は豊作を祈り、秋には収穫を感謝する日です。
 
土用
立春・立夏・立秋・立冬の前各十八日間をいいます。陰陽五行説で四季を五行に当てはめる場合、春・夏・秋・冬を木・火・金・水に配しますと、土が余ることから、四季とそれぞれ九十日あるうちの五分の一ずつを土にあてはめたものです。春は清明、夏は小夏、秋は寒露、冬は小寒の後、書く十三日に土用入りとなり、十八日で土用が明けて新しい季節となります。土用のうちは、造作・修造・柱石等土を動かし、壁を塗る等も忌むべきとされました。今では普通土用というと、小暑から立秋までの最も暑い盛りの夏の土用だけをさしています。七月二十日ころの体力の消耗しやすい時期で、栄養のあるものを食べる習慣が出来ました。「う」の字のつくウリ、うどんなどは暑気にあたらないといい、また、鱧(はも)・鯰(なまず)等の黒いものを食べる地方も多いようです。丑の日に鰻を食べるのもそのひとつで、この日に水に入る風習もあります。京都賀茂御祖神社で御手洗祭があり、境内の糺の池に足を浸すと脚気にならないそうです。
 
八十八夜
立春から数えて八十八日目の日。新暦の五月一日から二日に当たります。このころが霜の降る最後となるので名残の霜、忘れ霜といい、これ以降は降霜の心配がないので、農家では種まきを行います。
 
 
入梅
『世事百談』に「梅雨の節に入るを入梅といい、あくるを出梅という。芒種の前の壬を入梅とし、小暑の後の癸を出梅とするよし、しかれども時として、陰晴定まらず、時節の分かち難きことあり。その時には花葵(立葵の別名)の鼻先そむるを入梅とし、だんだん標のかたに花咲き終るを梅雨のあくるこしるべし」とあり、暦の上では和歌にいう、五月雨、中世には堕栗花、今の俗に通油と云」と表現しています
 
 
半夏生
半夏とは烏柄杓(里芋科の多年草)の種を乾燥させたものをいいます。畑でよく見かけ、地下の球茎を集めておき、ある程度まとまったときに薬屋へ売ってアルバイトしたことから、別名ヘソクリといいます。車酔いなどに効果があるといいます。
この鳥柄杓が生えるころという意味で「半夏生」といい、新暦七月二日ころに当たります。この日には毒気が降りるといって、いっさいの野菜を食べない俗習もあります。
 
 
二百十日
立春から数えて二百十日に当たる日。新暦九月1日ごろで、稲の開花と、台風の襲来がぶつかる時期であり、農業に従事している人は、厄日として警戒します。古書にも「二百十日、立春の日より二百十日目なり、このころ社の最中にて金気殺伐の気変動するなり、故に必ず風雨あり、この節中稲の花盛りとす、農民その花を損なわんことをおそる。また、二百十日は晩稲の花盛りとす」とあります。