古代中国では、元日から八日の各日に鶏、狗、羊、猪、牛、馬、人、穀をそれぞれ占うという風習がありました。六世紀ごろの中国中南部の荊楚地方の風俗を記した『荊楚歳時記』には、「正月七日を人日となす。七種の菜を以て羹を為る」とあります。これは人日の日に七種の若菜を羹(熱く煮た吸い物)にして食べると年中無病でいられるという俗信を伝えたものです。 若菜の節句は古くは上の子の日を用いていました。平安末期の歴史書『扶桑略記』には 「宇多天皇寛平八年閏正月六日の宴あり」として若菜摘みのことが記載されており、野外に出ての遊楽でした。

七草がゆは、万病除去、また邪気を取り除くという信仰から生まれたもので、一条兼良著の有職故実書『公事根源』には「延喜十一年正月七日に後院より七種の若菜を供ず」とあります。このころより七草は薺、繁縲、芹、菘(菁)、御形、蘿蔔、 仏座等、としており、今日も変わっていません。

七日節会としては、わが国では、景行天皇の五十一年正月七日から数日に及んだ宴が嚆矢です。また推古天皇、その後の天智天皇、天武天皇の御代の記述にも見えますので、飛鳥時代に節会の饗宴が定着したと考えられます。宮中では、白馬の節会が七日節会の公式行事となっていきます。これは年頭に七疋の白馬(青馬)を見れば、年中の邪気を除くとされるもので、中国の『礼記』に見えます。

正月七日、天皇が豊楽殿に出御して左右馬寮から出す二十一頭の白馬をご覧になった後、饗宴が行なわれました。馬は陽の獣で、青は春の色です。そして七は小陽の数で七曜にあて、これに陽の三を乗じて二十一頭としたといいます。後には馬の数も漸次減少しました。現在でも白馬祭の神事は行なわれています。

現在正月七日には七草がゆを食べる習慣があります。春霜や雪の日だまりの間から出てきた美しい若草の勢いを食し、祖霊に供えたものを下ろして食べること(直会)によって 、年中の邪気を払うとされています。栄養分、薬効のある七草ですが、七草のなかで揃えられるものをかゆに炊き込み食するということは、元日より続いた節の料理にいったん区切りをつけ、胃を休めるとともに、栄養分のバランスを見直す生活の知恵でもあります。